165 問答関係とK構造(その1) (Question-Answer relationship and K-structure (1)) (20251123)

 [カテゴリー:問答の観点からの認識]

「認識」とは、「記述的な問い」の答えを求めること、あるいはその答えのことです。「記述的な問い」とは、「事実についての記述」を答えとする問いです。「事実についての記述」を求めることは、<事実が、記述とは独立に、あるいは当事とは独立に成立していること>を前提しています。あるいは、逆に言えば、「事実」とは、「それについての問答とは独立に成立している事柄」だということもできます。より正確にいうならば、「事実」とは、「問答とは独立に成立している事柄として設定されたもの」です。

#今仮に机の上のリンゴAを見ているとします。このとき、私はふつうは、Aは、私がそれを見ていなくても存在していると考えています。なぜそう考えるのかといえば、素朴に考えるならば、私がそこから離れて戻ってきたときにも、そこに変わらず存在していたかのように存在するからです。このことを反省するとき、私は、Aを、<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>として考えていることがわかります。

 さて、私が「Aは、私がそれを見ていなくても存在している」と考えることと、「Aは、私が表象から独立に存在しているものとして設定したものである」と考えることは非常に異なります。前者では、私はAが私から独立に実在すると考えており、後者では、Aは私が設定したものであると考えています。ただし、この二つは両立可能です。なぜなら、後者では、私は、Aを、私が表象から独立して存在しているものとして設定するしているのですが、この設定によって、Aは私にとって、表象から独立しているものとして設定されるのであって、そのことは、Aが私のこの設定から独立に存在することとは、矛盾しません。

 ここで<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>という概念を用いることによって、<現象としての対象>と<実在としての対象>のどちらでもない対象を考えたいと思います。現象論と実在論の対立を超える考え方を提案したいと思います。  そこで<私が表象から独立に存在しているものとして設定したもの>という概念についてもう少し論じたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。